今年も高校野球の季節となりました。
強豪校ひしめく神奈川県を勝ち抜くのは至難の業。今年も熱い戦いを見られるのが楽しみです!
高校野球って感動しますよね。
なぜ高校野球はプロ野球より感動するのか?
その理由を考えてみました。
①一発勝負のトーナメントだから
特に夏の高校野球は、3年生にとって負けたら最後の試合となってしまいます。
何のために3年間厳しい練習に耐えてきたのか?
それはこの日の勝負のため。一試合一試合に懸ける想いが違います。
負けたら最後の一発勝負。
「この仲間たちと1日でも長く野球がしたい」
その想いがすべてのチーム、すべての選手にあるからこそ喜びも大きく、涙するほどの悔しさも大きい。
それが見ているこちらにも伝わってくるのだと思います。
②常に全力プレーだから
県大会を勝ち抜けば甲子園での全国大会に出場できます。
甲子園は高校球児はもちろん、すべての野球少年の夢。
甲子園に出場することには価値があります。
しかし、優勝するのは1校のみ。それ以外のすべてのチームが敗れて終わります。
たとえ優勝したチームであっても、ベンチ入りが叶わなかった選手、レギュラーでも思うように活躍できず悔しい思いをする選手もいるでしょう。
ほとんどの高校球児が悔し涙を流して夏が終わる。
それでも、全力を出し切ったその姿に心が震えるのです。
③想いが詰まりに詰まっているから
選手だけでなく、応援する人たちの想いも詰まりに詰まっています。
選手の両親をはじめ、家族や友人、OBや後輩、地元の人たちまで。今まで支えてくれたすべての人たちの想いを背負って、選手は最後の夏を戦います。
プロ野球との違いは、試合の勝ち負けだけではなく、必ず選手一人ひとりにドラマがあって、ストーリーがあって、一戦に懸ける想いがあること。
そこにわたしたちは熱くなるわけです。
高校球児にとって、甲子園はひとつの到達点でありながら、あくまでも通過点です。
高校野球は終わるけれど、人生は続く。
プロに進む選手、大学や社会人で野球を続ける選手。野球を辞める選手。この夏が終われば、それぞれに進む道があります。
高校生としての最後の夏、全身全霊を尽くした全力プレーを見せてほしいと思います。
なにより、テレビの前の野球少年はそんな高校球児に憧れるものです。
1989年、夏の甲子園
─1989年の夏、小学2年の時でした。
その年、地元宮城の仙台育英高校が初めて甲子園の決勝に進出しました。
夏休みなのでなんとなく1回戦から見ていると、あれよあれよと勝ち上がり、ついに決勝までたどり着いたのです。
帝京高校との決勝戦。
学校のプールから急いで帰り、テレビにかじりついて応援したのを鮮明に憶えています。
勝ってほしい、どうしても。
祈っていました。
試合は拮抗し、0-0のまま延長戦へ。
しかし、仙台育英のエース大越投手(元ダイエー)の右肩は悲鳴を上げていました。
10回表に2点を取られ、そのまま0-2での惜敗。
泣きました。
悔しかった、とても。かつてないほど。
高校野球の感動は、小学生にも伝わります。
東北勢の優勝は遠い?
ひとつ、高校野球の注目ポイント。
東北出身者ならご存じ、東北勢は春夏通じて甲子園で優勝したことが一度もありません。
そう、一度もないんです。
そのため、東北勢が決勝に進出すると東北全体が盛り上がります。
2018年夏、吉田輝星(現日本ハム)を擁する金足農業(秋田)の金足旋風は記憶に新しいのではないでしょうか?
その時も秋田のみならず、東北全体が応援ムードになっていました。
決勝まで1人で連投を重ねた吉田輝星投手は力尽き、惜しくも大阪桐蔭高校に敗れました。しかし、吉田投手の力投は大きな感動を呼び、東北に夢を与えてくれました。
また、青森の光星学院は2011年夏から春・夏と3大会連続で決勝進出。しかし、いずれも敗れて優勝には届きませんでした。
手が届きそうで届かない。
東北勢の優勝は遠いのです。
宮城県勢の決勝進出はというと、過去に4回ありました。
1989年夏と2001年春。
2003年夏には、ダルビッシュの東北高校が準優勝。
そして2015年夏、1989年以来の夏の甲子園決勝進出となった仙台育英高校。
相手は小笠原(現中日)、吉田(現オリックス)の二枚看板を擁する神奈川県の東海大相模高校でした。
6-6で迎えた9回表、先頭打者は投手の小笠原。
まさかの初球をスタンドに運ばれ逆点を許し、その回4点を奪われた仙台育英は力尽きました。
6-10で敗れ、またもや東北勢の夢は叶わず、準優勝に終わったのでした。
複雑な思いで東海大相模の凱旋パレードを眺めていたのを思い出します…。
高校野球には本当に数多くのドラマがあります。
その一部始終をテレビやネット配信で見ることができるなんて!
この夏、熱いシーンを見逃すな!